理由 / 宮部みゆき | ぶちぶち日記

理由 / 宮部みゆき

先日、日テレバージョンとやらいう、映画を劣化させたものを見てしまい、原作を確認したくなっての再読です。 


7年前の初読時の感想は、一応おもしろかったけれど、枝葉が多くてミステリとしては迂遠だし、競売に関しては篠田節子で読んじゃったし、くらいだった記憶があります。 しかし、映像によってミステリ面の興味が満たされた状態での再読は、少し違う感想となりました。 


密だったり疎だったり、濃かったり薄かったり、近かったり遠かったり、知っていたり知らなかったり、あきれるほど大勢の人々の人生で綾織られた社会が、そこにありました。 書かれていたのは、まさしく「理由」。 事件に直接間接に関わった人々がそれぞれに生きてきた結果起きてしまった事件の「理由」。 


当事者たちが事件に関わった直接の理由だけではないのです。 その人物が育った経緯や誕生した状況、さらにはその親が育った環境までもが語られていくのです。 初読ではやや不要にも思われたその部分が、今回は一番胸に響いてきました。 人は、「過去」で成り立っているのです。


480頁(単行本)に、まさしくそのことが書かれています。 
「人を人として存在させているのは『過去』なのだと、康隆は気づいた。この『過去』は経歴や生活歴なんて表層的なものじゃない。 『血』の流れだ。 あなたはどこで生まれ誰に育てられたのか。 誰と一緒に育ったのか。 それが過去であり、それが人間を二次元から三次元にする。 そこで初めて『存在』するのだ。」


人は、自分ではいかんともし難い時の流れの中にあり、事件はその中で起きたのです。 なんて哀しい。 なんてやりきれない。 


無論、人は努力で人生を変えうるものであるし、悪事を運命のせいにして片付けるわけにはいきません。 けれどやはり人にとって「過去」は切り離せないものなのです。


本書に登場する証言者が驚くほど多いのは、単に「ルポルタージュ風」に書きたかったからではないのでしょう。 濃くは「家族の絆」、薄くは「他人の関わり」と、そこに流れる「時」は、そうでもしなければ表現できなかったかもしれません。 人に歴史あり。 そのことを強く実感し、地球上に何億もの人が生きる現実の、重さと深さを想いました。 再読して良かった~。