鬼女の都 / 菅浩江 | ぶちぶち日記

鬼女の都 / 菅浩江

弟が海外挙式の計画をたてた時、参列を求められた私は海外ウェディングの分厚い雑誌を買ったのでした。 初海外の老いた両親にどんなところでどんな風に行われるのか参考にしてもらうためと、自分の参考と楽しみ(いくつになっても結婚式って惹かれませんか?)のために。 忘れましたけど、広告ばかりのわりに高かった記憶があります。


買って数日たった私の留守中、弟たちが打ち合わせに来て、雑誌に目を留め持ち帰ったそうです。 まだ読んでいないのに。。。 


次に彼らが来たとき、もう読んだ?と聞くとまだでした。 「買おうと思ったけど、高いから立ち読みで済ませていました。 おねえさん、よく買いましたねー」という未来の義妹。 まあ、結婚するのは彼らだし、本当に必要な人が使うのが一番だと思い、「ゆっくり見ていいよ。 でも私も見ていないから、式後でもいいから返してね」と言ったのでした。 「早く見て返してチョ」がホンネだったわけですが。 買った当人が「まだ見ていない」と言えば、ありゃりゃと思って早めに返してくれると踏んだのです。 半年先の旅立ちよりは前に。 けれど、結局そのまま出発日を向かえたのでした。


帰国後すぐ、弟の家に集まりました。 思い出して「あれ、読んだ? 私まだみてないから」と言うと、二人は薄く笑うだけなのです。 もしや、失くした? 捨てた? けれど今更追求しても仕方がありません。 式は終わり、雑誌はもう必要ないのです。 残ったのは私の意地のみ(笑) なんか、悔しい?


出発前の時点で素直に、「読んでないから返して」と言えば良かったんでしょうね。 あとでぐじぐじ何年もたってから思い出したりするくらいなら。 でも、その時にはそれが精一杯だったのです。 異国から嫁入りする彼女に気詰まりな思いをさせないように配慮したつもりだったのです。 


長い前フリになっちゃいました。 作中、さかんに京都の人間の「仄めかし」について触れられており、読みながらどうしてもストレートに物が言えない自分について考えずにいられなかったのです。 


遠まわしに言うとか、仄めかすとか、現代ではあまり歓迎されません。 そういうことをする人物は、「肩が凝る」「疲れる」と敬遠されてしまいます。 「遠慮のいらない」「わかりやすい」人が歓迎されるのです。 


私も、人に面倒くさい思いをさせるのは本意ではないので、率直になるよう鋭意努力中です。 けれど、相手が抱いている言うに言えない気持ちを察してあげる努力も必要なのではないかと思うのです。 「そうだったの。 でも言わなくちゃ解らないわよ」と相手に言うより、「気付かなくてごめんね」と言いたいと思います。 


心にちくちくきたもので、ミステリとしてどうかとか、気にしないで読んでしまいました。 で、陶子と杳臣の関係ってなんだったのでしょう? 「仄めかし」で終わってましたね。